(財)日本不動産研究所「不動産研究」第50巻第2号(平成20年4月発行)掲載
〔判例研究79〕
買い受けた建物に発見された瑕疵と
設計者・施工者・工事監理者の不法行為責任
(最高裁第2小法廷平成19年7月6日判決・判例時報1984号34頁、
原審福岡高裁平成16年12月16日判決・判例タイムズ1180号209頁、1審大分地裁平成15年2月24日判決)
関 智 文
1 はじめに
この数年、建築された建物の瑕疵について耐震強度偽装の問題や雨漏り等の補修問題など種々な様相において社会的に大きな関心を呼んできた。
今回採り上げた最高裁判決も建物の瑕疵に関するものであるが、建築主と建築工事請負人間で発生した紛争に関するものではなく、新築後、販売された建物に発見された瑕疵につき、設計者及び工事監理者、施工業者が当該建物を買い受けた所有者に対して不法行為責任を負う可能性があることを認めたもので、今後、裁判実務に大きな影響を及ぼすことが予想される判決である。しかし、それとともに理論的にも裁判実務的にも重要な問題点を抱えていると思われる。特に本判決はどの程度の射程距離をもっているものか、また本判決が示した見解を具体的にケースに適用した場合損害額はどの程度になるかについてはすぐには結論を出すことが難しいように思われる。この意味においても本判決は重要であるので、問題のありかを指摘するとともに私見を述べさせていただくことにした。
2 事案の概要
本件は、大分県別府市に9階建ての共同住宅・店舗として建築された建物をその建築主から購入したX(原告・被控訴人・上告人)らが、その約6年後に建物にはひび割れや鉄筋の耐力低下等の瑕疵があると主張して、上記建築の設計及び工事監理をしたY (以下、「Y」という。)に対しては不法行為に基づく損害賠償を請求し、その施工をしたZ (以下、「Z」という。)に対しては、請負契約上の地位の譲受けを前提として瑕疵担保責任に基づく瑕疵修補費用又は損害賠償を請求するとともに不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。
原審が確定した事実関係の概要は次のとおりである。
(1) Y は、建築設計及び企画並びに工事監理を目的とする会社であり、その事務所は東京にある。
一方、Zは、土木建築業を目的とする大分県でも大手の会社である。
(2) Aは、昭和63年8月8日、第1審判決別紙1物件目録記載2の土地(以下、「本件土地」という。)を買い受け、同年10月19日、Z との間で同目録記載1の建物(以下、「本件建物」という。)につき工事代金を3億6100万円(ただし、後に560万円が加算された。)とする建築請負契約(以下、「本件請負契約」という。)を締結した。
(3) Yは、本件建物の建築について、Aから設計及び工事監理の委託を受けた。
(4) 本件建物は平成2年2月末日に完成し、Zは、同年3月2日、Aに対し本件建物を引き渡した。
(5) 大阪府に居住していたXらは、不動産賃貸業を営む目的で、平成2年5月23日、Aから、本件土地を代金1億4999万1000円で、本件建物を代金4億1200万9270円で、それぞれ買い受け、 その引渡しを受けた。買い受け後の本件土地及び本件建物の各持分割合は、X1が4分の3、X2が4分の1であった。
(6) 本件建物は、本件土地上に建築された鉄筋コンクリート造り陸屋根9階建
ての建物であり、9階建て部分(A棟)と3階建て部分(B棟)とを接続した構造となっている。
A棟は、1階が駐車場となっており、2階から9階までが各階6戸の賃貸用住居で、各住居にバス、トイレ、台所が設置されている。各住居の南側にはバルコニーがあり、北側には共用廊下がある。A棟西側にはエレベーターが設置されている。B棟は、1階が店舗、2階が事務所となっており、3階はやや広い賃貸用住居2戸となっている。
(7) 本件建物には、次のとおりの瑕疵がある。
ア A棟北側共用廊下及び南側バルコニーの建物と平行したひび割れ
イ A棟北側共用廊下及び南側バルコニーの建物と直交したひび割れ
ウ A棟1階駐車場ピロティのはり及び壁のひび割れ
エ A棟居室床スラブのひび割れ及びたわみ
オ A棟居室内の戸境壁のひび割れ
カ A棟外壁(廊下手すり並びに外壁北面及び南面)のひび割れ
キ A棟屋上の塔屋ひさしの鉄筋露出
ク B棟居室床のひび割れ
ケ B棟居室内壁並びに外壁東面及び南面のひび割れ
コ 鉄筋コンクリートのひび割れによる鉄筋の耐力低下
サ B棟床スラブ(天井スラブ)の構造上の瑕疵(片持ち梁の傾斜及び鉄筋量の不足)
シ B棟配管スリーブの梁貫通による耐力不足
ス B棟2階事務室床スラブの鉄筋露出
(8) Xらは、(7)記載の瑕疵以外にも、バルコニーの手すりのぐらつき、排水管の亀裂やすき間等の瑕疵があると指摘し、これらの瑕疵も含めて本件建物に瑕疵が存在することにつきYらに不法行為が成立すると主張した。なお、その後、Xらは借入金の返済が不能になって抵当権を実行され、本件建物の所有権を失った。
3 1審判決の概要
大分地方裁判所は平成15年2月24日、Xら主張にかかる本件建物の瑕疵について、その一部が認められるとした上で、@Aの有していたZに対する本件請負契約上の瑕疵担保責任履行請求権は、AとXらとの売買契約上の特約によってXらに譲渡され、Zもこれを承諾したものであるが、本件請負契約約款23条の規定(瑕疵の発生につき故意又は重過失があった場合はコンクリート造等の瑕疵担保期間は10年に延長するもの)に基づき、Zには各瑕疵の発生につき故意又は重過失があるとはいえないとして、Zの瑕疵担保責任を否定する一方、AZ及びYの不法行為に基づく損害賠償責任を肯定し、損害額合計7393万7805円のうち、両被告が連帯してX1に対し2916万4412円、X2に対し972万1471円と各遅延損害金を、これとは別に、ZがX1に対し2044万2793円、X2に対し681万4265円と各遅延損害金を、YがX1に対し584万6148円、X2に対し194万8716円と各遅延損害金を、それぞれ支払うべき旨を求める限度で、Xらの請求を認容した。
4 原審判決の概要
原審の福岡高等裁判所は、平成16年12月16日、次のとおり判示して、Xらの請求をいずれも棄却すべきものとした。
(1) Xらは、Aから、被上告人らに対し瑕疵担保責任を追及し得る契約上の地位を譲り受けていない。
(2) ア 建築された建物に瑕疵があるからといって、その請負人や設計・工事監理をした者について当然に不法行為の成立が問題になるわけではなく、その違法性が強度である場合、例えば、請負人が注文者等の権利を積極的に侵害する意図で瑕疵ある目的物を製作した場合や、瑕疵の内容が反社会性あるいは反倫理性を帯びる場合、瑕疵の程度・内容が重大で、目的物の存在自体が社会的に危険な状態である場合等に限って、不法行為責任が成立する余地がある。
イ Yらの不法行為責任が認められるためには、上記のような特別の要件を充足することが必要であるところ、Yらが本件建物の所有者の権利を積極的に侵害する意図で瑕疵を生じさせたというような事情は認められない。また、本件建物には、前記2(7)記載のとおりの瑕疵があることが認められるが、これらの瑕疵は、いずれも本件建物の構造耐力上の安全性を脅かすまでのものではなく、それによって本件建物が社会公共的にみて許容し難いような危険な建物になっているとは認められないし、瑕疵の内容が反社会性あるいは反倫理性を帯びているとはいえない。さらに、Xらが主張する本件建物のその余の瑕疵については、本件建物の基礎や構造躯体にかかわるものであるとは通常考えられないから、仮に瑕疵が存在するとしても不法行為責任が成立することはない。したがって、本件建物の瑕疵について不法行為責任を問うような強度の違法性があるとはいえないから、その余の点について判断するまでもなく、Xらの不法行為に基づく請求は理由がない。
5 本判決の要旨
本判決は、次の理由により、原判決のうちX(上告人)らの不法行為に基づく損害賠償請求に関する敗訴部分を破棄し、本件を原審の福岡高等裁判所に差し戻した。
すなわち、原審の上記4(2)の判断は是認することができないというものであり、その理由として次のとおり述べた。
「(1) 建物は、そこに居住する者、そこで働く者、そこを訪問する者等の様々な者によって利用されるとともに、当該建物の周辺には他の建物や道路等が存在しているから、建物は、これらの建物利用者や隣人、通行人等(以下、併せて「居住者等」という。)の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである。そうすると、建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(以下、併せて「設計・施工者等」という。)は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負うと解するのが相当である。そして、設計・施工者等がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害された場合には、設計・施工者等は、不法行為の成立を主張する者が上記瑕疵の存在を知りながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなど特段の事情がない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負うというべきである。居住者等が当該建物の建築主からその譲渡を受けた者であっても異なるところはない。
(2) 原審は、瑕疵がある建物の建築に携わった設計・施工者等に不法行為責任
が成立するのは、その違法性が強度である場合、例えば、建物の基礎や構造く体にかかわる瑕疵があり、社会公共的にみて許容し難いような危険な建物になっている場合等に限られるとして、本件建物の瑕疵について、不法行為責任を問うような強度の違法性があるとはいえないとする。しかし、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵がある場合には、不法行為責任が成立すると解すべきであって、違法性が強度である場合に限って不法行為責任が認められると解すべき理由はない。例えば、バルコニーの手すりの瑕疵であっても、これにより居住者等が通常の使用をしている際に転落するという、生命又は身体を危険にさらすようなものもあり得るのであり、そのような瑕疵があればその建物には建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるというべきであって、建物の基礎や構造く体に瑕疵がある場合に限って不法行為責任が認められると解すべき理由もない。」「 以上と異なる原審の・・判断には民法709条の解釈を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は、上記の趣旨をいうものとして理由があり、原判決のうち上告人らの不法行為に基づく損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。そして、本件建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるか否か、ある場合にはそれにより上告人らの被った損害があるか等被上告人らの不法行為責任の有無について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。」
6 本判決の理論構成と意義
(1)本事件の中心的な争点は、瑕疵がある建物の建築に関与した設計者、施工者及び工事監理者は、不法行為法上、施主以外の第三者に対していかなる内容の注意義務を負うのか、あるいはどのような瑕疵を生じさせてはならい義務を負うのか、である。
この問題につき、本判決は、建物は、建物利用者や隣人、通行人等(居住者等)の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきであると捉え、建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(設計・施工者等)は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負うとした。
(2)本判決の見解は、建物の居住者等には、建物の基本的な安全性の確保によって守られるべき一般的な保護法益が存在することを承認し、そこから建物の設計・施工者等が居住者等の第三者に対して負うべき注意義務を導き出したものである。これは、不法行為における違法性の根拠を上記の基本的な安全性の確保に配慮すべき注意義務に違反することに求めたものということができる。
そこで、この見解をどのように評価するかということになるが、それには本判決が出るまでの下級審判決及び学説との比較において検討する必要がある。
(3)下級審判決の考えは大きく分けて2つの考えがあると見られる。
1つは、本件原審判決と同様に、不法行為成立の要件として強度の違法性を要求する見解である。例えば、神戸地裁平成9年9月8日判決(判例時報1652号114頁)、大阪地裁平成12年9月27日判決(判例タイムズ1053号138頁)などがある。
この見解は下級審において相当有力であったと見られるが、その根拠につき原審判決は次とおり述べている。
@ 不法行為責任は、瑕疵担保責任等の契約責任とは制度趣旨を異にするが、本来瑕疵担保責任の範疇で律せられるべき分野において安易に不法行為責任を認めることは、法が瑕疵担保責任制度を認めた趣旨を没却することになりかねない。すなわち、民法637条、638条は、瑕疵担保責任の存続期間を定めており、さらに契約当事者間の特約によって、責任の存続期間を一定の限度で伸長させたり(同法639条)、責任そのものを免除すること(同法640条)も認めている。しかし、この問題に不法行為責任の追及を持ち込むときは、いかに不法行為の成立要件として請負人の故意ないし過失を要するからといって、法が瑕疵担保責任の存続期間について契約法理に見合った様々な規定を置いた趣旨を没却し、請負人の責任が無限定に広がるおそれが生じる。
A 請負人が不法行為責任を負うべきものとすると、請負人が責任を負担する相手方の範囲も無限定に広がってくる。
B 瑕疵ある目的物の買受人は、請負人に対して責任を追及できなくとも、売主に対して債務不履行責任又は民法570条所定の瑕疵担保責任等を追及することができるのであるから、その保護に欠けることはない。
もう1つの見解は、各種の取締法規違反をもって不法行為成立の要件と考えるというものである。例えば、大阪地裁平成10年7月29判決・金融商事判例1052号40頁は建築士として業務を誠実に遂行すべき義務(建築士法18条1項)の違反をもって不法行為成立の根拠とし、大阪高裁平成13年11月7日判決・判例タイムズ1104号216頁は建築基準法に違反する瑕疵がある場合には不法行為法上の違法があると解している。
なお、本判決の意義を検討する上で一応見ておかなければならないのが、最高裁第2小法廷平成15年11月14日判決(判例時報1842号38頁)であるが、これは建築確認申請書に自己が工事監理を行う旨の実体に沿わない記載をした一級建築士が建築主に工事監理に変更をさせる等の適切な措置を執らずに放置した行為が当該建築主から瑕疵のある建物を購入した者に対する不法行為となることを根拠に、建築士に買受人が被った損害の1割につき支払いを命じた原審判決を相当とした判決である。その理由として、同判決は「建築士は、その業務を行うにあたり、新築等の建築物を購入しようとする者に対する関係において、建築士法及び法の上記各規定による規制の潜脱を容易にする行為等、その規制の実効性を失わせるような行為をしてはならない法的義務があるというべきであり、建築士が故意又は過失によりこれに違反する行為をした場合には、その行為により損害物を被った建築物の購入者に対し、不法行為に基づく賠償責任を負うものと解するのが相当である。」と述べている。この見解に対し、本件原審判決は「これも、当該建築士の行為が、一定の建築物を新築等をするに当たって、その設計及び監理業務を建築士をして独占的に行わせ、建築基準関係規定に適合し、安全性が確保された建築物を提供することを主要な目的とした建築士法の規制の実効性を失わせるという強度の違法性を帯びていることを理由に、建築物の購入者に対する不法行為責任を肯定したものと理解するべきである。」と述べて、自らが採用した不法行為成立の要件として強度の違法性を要求する見解は最高裁平成15年11月14日判決の見解と同一であるとしている。
(4)ここで学説の状況も見てみると次のような見解が公表されている。どちらかというと、取締法規違反をもって不法行為成立の要件と考える見解が有力のようである。
@ 注文者の権利を積極的に侵害する意思で瑕疵ある建物を建築した場合に限定する見解(後藤勇「請負建築建物に瑕疵がある場合の損害賠償の範囲」判例タイムズ725号13頁)
A 建築士法18条の義務に違反して第三者に損害を与えた場合に不法行為責任を負うとする見解(高橋寿一「建築士の責任」川井健編・専門家の責任413頁、齋藤隆編・建築関係訴訟の実務〔改訂版〕300頁〔河合敏男執筆部分〕)
B 建築確認申請書に名義貸しをした建築士につき、「適正な工事の監理をなすべき義務、その前提として建築確認申請書に工事監理をなすべき建築士名を掲載すべき義務は、単なる行政上の取締規定としての性格にとどまらず、建築士法、建築基準法に規定された立法目的の実現のために不可欠な実質的な行為義務であって、それは単に建築主との関係だけでなく、欠陥のある建造物が社会的に生み出されないことへの社会的利益にかかわる義務として位置づけることができる」とする見解(松本克美「欠陥建売住宅の売主及び建築確認申請に名義貸しをした建築士の責任」ジュリスト1192号218頁)
C 建設業者について、建設業法25条の5に基づいて「施工技術の確保に努めなければならない」とする施工技術確保義務を負っていることを理由として、瑕疵ある工事をしたことが施工業者の不法行為責任を根拠となり得るとする見解(齋藤隆編・前掲300頁)
(5)本判決の見解は、原審が採用したような強度の違法性を要求する考え方や他の下級審判決が採用した建築士法又は建築基準法の規定違反そのものに違法性の根拠を求める考え方とは異なるものである。
本判決が原審の見解を採用しなかった理由は、@ 不法行為の一般的な成立要件として、強度の違法性を要求すること根拠は見いだし難いこと、A 原審の基準では、設計者・施工者等が責任を負う範囲が狭くなりすぎて、妥当な結果を導けない事例が生じると考えられるということである。
また、本判決が取締法規違反そのものに違法性の根拠を求める見解を採用しなかった理由は、@取締法規に違反する事実があったとしても、それだけでは直ちに私法上の義務違反があるとは見られないと解するのが一般的であること、Aささいな瑕疵について、設計者・施工者等が第三者から不法行為責任の追及を受けるというのも不合理であるなど、種々の事情が考慮されたのではないかと推測されている(本判決紹介コメント・判例時報1984号36頁)。
(6)以上のように、本判決が原審の見解も取締法規違反そのものに違法性の根拠を求める見解を採用せずに、不法行為における違法性の根拠を建物の基本的な安全性の確保に配慮すべき注意義務に違反することに求めようとしたのは、建物利用者や隣人、通行人等(居住者等)と建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(設計・施工者等)の利害を調整して、両者の中間的なところに解決場所を見出そうとしたものと思われる。
法理論の面から見ると、本判決は「建物の基本的な安全性」という新しい法益を創出して。これを侵害することをもって不法行為の成立要件としようとしたように見えるが、本判決が述べている「建物の基本的な安全性」というのは建物利用者や隣人、通行人等が有するものであるというのであるから、いわば当然のことを述べたにすぎず、これまでも裁判実務において当然考慮されていた法益を新たな表現の衣を着けて最高裁判決という表舞台に引き出したものに過ぎないと思われる。そのような概念を使用せざるを得なかったのは、原判決の採用した不法行為成立の要件として強度の違法性を要求する見解を覆して、破棄差し戻しにするためにはこれまでとは別の概念を打ち出す必要があったからであろう。そう考えると、本判決の意義は建物の居住者等と設計・施工者等との利害調整を図った点にあると思われる。その意味において、本判決の見解は法理論に傾斜するよりは、紛争を現実的に解決しようとする柔軟な考えに立つものであり、賛成である。
7 本判決の問題点
冒頭で、本判決はどの程度の射程距離をもっているものか、また本判決が示した見解を具体的にケースに適用した場合損害額はどの程度になるかについてはすぐには結論を出すことが難しいように思われると述べた。その点については、差し戻し審の判決が出されれば具体的な内容を掴めると思われるが、本日現在(平成20年3月24日)まだ出されていないので、私見を以下に述べてみたい。
(1)なによりも本判決の射程距離を探るためには、一方では本判決理由の文章からそれを起案した最高裁裁判官の考えを推論し、そこから射程距離を測ることであり、他方では本件建物の瑕疵の程度を把握することが必要であると思われる。というのは、上記のとおり、本判決は本件紛争の現実的な解決を考えて一つの見解を出した訳であるから、本件紛争の事実関係を離れては論じられないからである。併せて、そのことは本判決の見解に従って損害額を算定する上でも意味がある。
(2)本判決理由から推測される射程距離
本判決理由を起案した最高裁裁判官がどのような解決を考えていたかであるが、それは判決理由中に引用された考えから推論することから始めるべきであろう。最高裁裁判官は、「例えば、バルコニーの手すりの瑕疵であっても、これにより居住者等が通常の使用をしている際に転落するという、生命又は身体を危険にさらすようなものもあり得るのであり、そのような瑕疵があればその建物には建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるというべきであって、建物の基礎や構造く体に瑕疵がある場合に限って不法行為責任が認められると解すべき理由もない。」と述べているが、その例からすると、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵とは居住者等が相当現実的にその生命又は身体を危険にさらされるようなものを念頭において不法行為の成立を考えていて、建物の基礎や構造く体に瑕疵があっても構造耐力上の安全性に欠けることがないため、現実的に居住者等の生命又は身体に危険を及ぼさないようなものは除外しているように考えられる。ただし、この点は今後の判例の積み重ねにより判断しなければならないところである。
(3)本件建物の瑕疵の程度
原審判決はこの点については本件建物の構造耐力上の安全性を脅かすまでのものではないと認定しているので、その認定と1審判決の認定を紹介しながら私見を述べてみたい。検討する項目は本判決の中に紹介された順序に従っている。
ア A棟北側共用廊下及び南側バルコニーの建物と平行したひび割れ
1審判決にいると、A棟2階ないし9階の北側共用廊下に0.2mmから0.45mmの平行ひび割れが散在し、特に2階、4階、7階の一部及び8階に平行ひび割れが多く発生しており、3階及び5階の南側バルコニーの一部にも平行ひび割れが生じているが、この平行ひび割れの原因は@型枠及び支柱を早く除去しすぎたか、A上端筋が所定の位置より下がってしまったためひび割れ幅を大きくしたか、B施工時に充分なコンクリート強度が出る前に支柱を除去し一時的に過加重をかけたかの3つのうち1つないし2つ以上が原因になっているとのことである。平行ひび割れの補修はエポキシ樹脂注入により行い、その費用は54万5882円となるが、これは施工者であるZの負担とされた。他方、上端筋の下がりによって、設計において予定されていた許容積載加重が実際には0.83倍に小さくなっており、本件請負契約上合意した内容に反して同廊下の強度不足を生じさせているが、許容積載加重値を結果として2割弱下回らせた程度であり、許容応力度も全体として建築基準法施行令に規定された値を満足させていることから、補強を余儀されているまでは認められず、補強費用相当額の損害は発生しないとされた。Yについては、工事監理者が現場に常駐して型枠の撤去時期等まで監視する義務はないとして、賠償義務を認めなかった。
イ A棟北側共用廊下及び南側バルコニーの建物と直交したひび割れ
1審判決によると、A棟北側共用廊下及び南側バルコニーには建物の長手方向に直交した長いひび割れが廊下等を分断するように多数散在しており、そのひび割れ幅は、北側共用廊下においては0.2mmから0.35mm、南側バルコニーにおいては0.2mmから0.3mmであり、その原因はコンクリートの乾燥収縮であるとのことである。
乾燥収縮によるひび割れを防止する方法としては設計段階でひび割れ誘発目地を設け、計画的にひび割れを発生させる方法があり、これを設けておればこの直交ひび割れは防ぎ得たとして、設計者のYには不法行為責任があるとして、その補修費用168万7172円をYが賠償すべきであるとしたが、施工者のZには設計図書に乾燥収縮対策が指示されていなかったという理由で瑕疵担保責任における故意又は重大な過失を否定した。
ウ A棟1階駐車場ピロティの梁及び壁のひび割れ
1審判決によると、長手方向の梁に、幅0.2mmから0.3mmのひび割れが散見され、過去に補修されたものを含めて、幅0.2mm以上のひび割れは南側に22本、北側に20本存し、これらのひび割れは裏側まで繋がったものが多く、その原因はコンクリートの乾燥収縮であるとのことである。
壁にも幅0.2mm以上のひび割れが生じているが、その原因はコンクリートの乾燥収縮であるとのことである。
これらの補修はいずれもエポキシ樹脂注入により行い、その費用は梁については53万0892円、壁については10万1393円となるが、これはZの負担とされた。Yの工事監理上の不法行為責任は否定した。
エ A棟居室床スラブのひび割れ及びたわみ
1審判決によると、901号室、903号室、906号室、801号室、503号室、406号室、309号室、201号室及び206号室の床スラブには幅0.1mmから1.4mmの多数のひび割れが生じており、903号室及び906号室についてはその真下の803号室及び806号室の天井スラブにも幅0.1mmから0.4mmの多数のひび割れが生じているが、そのうち戸境壁下梁端部に生じているひび割れは荷重により生じる曲げモーメントによって発生した応力ひび割れであり、その他のひび割れは乾燥収縮ひび割れであるとのことである。
903号室及び906号室の居室床スラブは主として壁際から中心部に、向かって最大30.5mmの下がりが計測されており、507号室でもフローリング上面における計測であるが、壁際から中心部に向かって約14mmの下がりが計測されている。しかし、903号室と906号室の2室のかぶり厚さの平均を基に床スラブの強度を検討した結果、直ちに床が落下するおそれまではないと認定している。この床スラブの応力ひび割れやたわみは@床の表面を均す際にコテ引きをよくするために水を撒きすぎた、A板下支柱を早く除去し過ぎた、B上端筋が下がってしまった等が原因であると認められるが、いずれの原因に基づくか特定できないことから、Zには瑕疵担保責任上の故意又は重過失は認められないとしたものの、施工上の過失は認め床スラブのひび割れにつき不法行為責任を負うとした。ただし、床のたわみは床が落下するほどの危険性を有するほどのものでないとして、補強工事相当額の損害は認めなかった。他方、設計者であるYについては本件建物の建築当時の技術水準をなしていた日本建築学会編「鉄筋コンクリート造のひび割れ対策(設計・施工)指針・同解説」において、「スラブは特に検討を行う場合以外は、1枚のスラブの面積を25u程度にすることが望ましい。」とされていたのにA棟居室床スラブにおいては1枚のスラブの面積が25uを超えており、これがたわみや応力ひび割れに寄与しているとして、応力ひび割れによって発生した損害について賠償する義務があるとした。その結果、Zはエポキシ樹脂注入費用の1470万2620円を、Yはその4分の1程度にあたる応力ひび割れの箇所についてエポキシ樹脂注入費用の367万5630円を負うとした。
オ A棟居室内の戸境壁のひび割れ
1審判決によると、901号室、902号室、903号室、906号室、907号室、807号室、806号室、805号室、205号室の戸境壁には幅0.1mmから0.6mmの斜めひび割れが多く生じており、特に最上階の9階の戸境壁においてひび割れが顕著であり、その原因はコンクリートの乾燥収縮であるとのことである。その発生についてZに過失は認められるが、Yには工事監理上の過失は認められないとした。その結果、Zは2階から8階のひび割れ充てん費用相当額198万9556円と9階のひび割れ補修費用額265万7248円の合計464万6804円を負うとした。
カ A棟外壁(廊下手すり並びに外壁北面及び南面)のひび割れ
1審判決によると、廊下手すりの内側及び外側に幅0.2mm以上の縦に長く伸びた乾燥収縮ひび割れが多数発生しており、それらは補修を要する瑕疵にあたるが、設計段階でひび割れ誘発目地などのコンクリート収縮対策が講じられなかったことが原因であるから、設計者のYに過失があり、補修費用相当額231万2145円を賠償する義務を負うとしたが、施工者のZには瑕疵担保責任における故意又は重過失は認められないとした。
また、907号室の外壁北面及び南面に長さ3cmから6cmの幅幅0.2mm以上のひび割れが4本存在しているが、その内容・程度に照らして、その発生原因が設計段階でひび割れ誘発目地などのコンクリート収縮対策が講じられなかったことが原因であるとは認められないとして、YとZの責任を否定している。
キ A棟屋上の塔屋ひさしの鉄筋露出
1審判決によると、塔屋(エレベーター機械室)のひさしの裏面に腐食した鉄筋が露出しており、これは当該部分の下端鉄筋のかぶり厚さが不足しているため、鉄筋が腐食してコンクリート部分が剥落したものである。これはZの施工上の過失であるが、Yに工事監理上の義務違反があったとはいえないとされた。Zが負担する補修費用は2万0454円とされた。
ク B棟居室床のひび割れ
1審判決によると、308号室及び309号室の床スラブには幅0.2mm以上のひび割れが多数生じており、そのひび割れの幅は0.5mmを越えるものも多く、最大でも1.5mmに達しているとのことであり、これらはすべて乾燥収縮ひび割れであるか、あるいは乾燥収縮ひび割れに応力ひび割れが交じっているひび割れで補修を要する瑕疵であるとされた。しかし、居室床に補修を要するほどの強度不足は認められないとして、Zには床の補強費用の賠償義務は否定し、ひび割れによって発生した損害として充てん補修費用相当額35万2941円の賠償義務を負わせた。他方、Yには工事監理上の不法行為責任は認められないとした。
ケ B棟居室内壁並びに外壁東面及び南面のひび割れ
1審判決によると、308号室及び309号室の内壁に、長さ70cmから216cmの幅0.2mm以上の乾燥収縮ひび割れが4本発生しており、これらは耐久性に影響を与えるひび割れであるから瑕疵であるとして、Zにはひび割れによって発生した損害として充てん補修費用相当額2万6241円の賠償義務を負わせた。他方、Yには工事監理上の不法行為責任は認められないとした。
また、B棟外壁東面及び南面に幅0.2mm以上の乾燥収縮ひび割れが総計約41.27m発生しており、これらは補修を要する瑕疵であるとして、Zにはひび割れによって発生した損害として充てん補修費用相当額59万5275円の賠償義務を負わせた。他方、Yには設計上及び工事監理上の不法行為責任は認められないとした。
コ 鉄筋コンクリートのひび割れによる鉄筋の耐力低下
原審において新たに主張されたもので、鉄筋コンクリートのひび割れによる鉄筋の耐力が低下している箇所があるというものである。すなわち、A棟北側共用廊下及び南側バルコニーの建物における平行ひび割れ部分につき5箇所で鉄筋が長期許容応力度を超え、1箇所で鉄筋が降伏点(鉄筋が塑性変形に至るときの応力)を超えており、A棟1階駐車場ピロティの梁の1箇所で鉄筋が長期許容応力度を超え、1箇所で鉄筋が降伏点を超えており、A棟903号室及び906号室の床上面につき鉄筋の長期許容応力度を超え、鉄筋が降伏点を超えているというものである。
原審判決はこれらの主張につきにわかに採用することできず、仮にそのような事実があるとしても、本件建物について構造耐力上の安全性を欠く事態を招来しているとは認められないとした。
サ B棟床スラブ(天井スラブ)の構造上の瑕疵(片持ち梁の傾斜及び鉄筋量の不足)
原審において新たに主張されたもので、片持ち梁の傾斜については、B棟1階事務所の北西角の柱の位置が約20mm下がっていること、2階事務室の南西角の柱を基準点として、事務室の床レベルは、北側ないし東側に向かって1000分の7から10程度の下り勾配が付いており、さらに開放部分である片持ち梁の先端に向かって1000分の13から22程度の下り勾配が付いており、これらの傾斜の程度は、参考技術基準(平成14年8月20日国土交通省告示721号)にいう傾斜のレベル3に達しており、しかも、N鑑定によれば、長期応力により片持ち梁にクリープ(一定の力が加えられ続けたときに、ひづみが徐々に増加する現象)が生じている可能性が極めて大きいことが認められるから、瑕疵に当たるとし、特に片持ち梁の傾斜については補強工事を施す必要があるとした。しかし、このような瑕疵が直ちに構造耐力上の安全性を欠く事態を招来しているとは認められないとした。
次に、鉄筋量の不足については、構造計算上、設計段階において、B棟3階の床梁のうち上主筋が2本不足し、また上主筋が4本不足している箇所があり、あばら筋が125mm間隔で設置されなければならないのに、そのように設計されていない箇所があること、3階屋上床梁においても、構造計算上、上主筋が3本不足して設計されている箇所があり、これらはYの設計上の過失であるが、このような鉄筋量の不足が直ちに構造耐力上の安全性を欠く事態を招来しているとは認められないとした。
シ B棟配管スリーブのはり貫通による耐力不足
原審において新たに主張されたもので、配管が梁を横切る場合、梁に孔があると孔の周囲に応力集中が起こるから、これに対して補強が必要であり、日本建築学会編「鉄筋コンクリート構造計算規準・同解説」では、孔のある梁について、中心間隔が孔径の3倍以下の場合は孔と孔との間のコンクリートを無視して長方形の孔があるものとして耐力を検討しなければならないとされているところ、B棟2階のB通りの大梁、C通りの大梁、A〜B通りの小梁に設置された配管スリーブに設計図書で定めた距離が不足しており、補強鉄筋が設置されていないが、ZがYの承諾を得てリング状の専用スリーブ補強筋を設置しているとのことである。
原審判決は、Zがなしたリング状の専用スリーブ補強筋の設置によって、梁の耐力が保たれているかはにわかに即断できないが、それによって梁の耐力不足が解消されていないとすれは、その施工変更を承諾したYに設計監理上の過失が認められる可能性があるが、B棟2階の梁に3箇所の耐力不足があるからといって、本件建物の構造耐力上の安全性を欠いているとは認められないとした。
ス B棟2階事務室床スラブの鉄筋露出
1審において設備関係の瑕疵として主張されたもののうち原審において構造耐力上の安全性に関わるものとして検討されたもので、B棟2階事務室床スラブの鉄筋が露出しており、これは余分に長い鉄筋を使ったため結束不良となったものであり、その露出部分に錆が生じており、放置すると錆が進入して爆裂を起こす可能性さえあるから瑕疵に当たるとされた。しかし、鉄筋露出があるからといって、現にコンクリート内に爆裂を起こす危険性があるなどの事実は認められず、構造耐力上の安全性を欠く事態を招来しているとは認められないとした。
(4)以上かなり詳細に、本件建物の瑕疵の程度に関する1審判決と原審判決の見解を紹介したが、原審判決が認定した本件建物の構造耐力上の安全性を脅かすまでのものではないという評価を変更することは難しいのではないかと思われる。そこで、その評価を前提にして、本件建物の基本的な安全性を損なうところがあるかということを考えると、構造耐力上の安全性に問題がなくても居住者等の生命又は身体を少しでも危険にさらすことを回避しようとすれば、B棟床スラブ(天井スラブ)の片持ち梁の傾斜を放置するのは相当ではないと考えられる。したがって、この箇所の補修費用相当額は損害になる。また、原審判決で検討の対象にはなっていなかったが、バルコニーの手すりのぐらつきは本判決が例にあげた箇所であるので、この箇所の補修費用相当額は損害になる。
このように考えると建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があった場合の損害額は必ずしも多額にならないことになるが、これは原審判決を覆して、少しでも損害の公平な負担をさせようとしたところに最高裁裁判官の狙いがあったのではないかと推測したところから考察した一つの試論であるとご理解頂きたい。
(せき ともふみ・弁護士)