(財)日本不動産研究所「不動産研究」第46巻第1号(平成16年1月発行)掲載 〔判例研究 64〕



 景観利益の侵害を理由とする建物の一部撤去請求の可否
    ―国立市大学通り高層マンション訴訟第一審判決―


(東京地裁平成14年12月18日判決、判例時報1829号36頁)

関  智 文


 目   次
1 はじめに
2 事案の概要
3 判旨
4 本判決の意義
5 本判決の問題点
6 本判決の射程距離


1 はじめに

今回は国立市大学通り高層マンション訴訟事件につき平成14年12月18日に東京地裁で言い渡された判決を採り上げて、都市景観の法的保護に関する問題を検討することにした。
  本判決は社会的に大きな反響を呼び、マスコミなどに広く報道された。例えば、本判決が言い渡された日の朝日新聞夕刊は第一面トップで「国立の高層マンション訴訟 20メートル超の部分撤去命令」「地裁判決景観利益を認める」と見出しを付けて本判決を紹介している。
  本判決はなによりもわが国で初めて「景観利益」が法的に保護されることを認めた点に意義がある。しかも、完成したマンションの一部撤去を求める請求を「景観利益」の侵害を理由に認容した点でも初めての判決であって、その点で画期的なものである。ただし注意を要するのは、本判決が認めたのは「景観利益」であって環境権の個別的権利と言うべき「景観権」の成立を認めたものではない。上記の新聞記事は、本判決の認めた結論は「特定地域で独特の町並みが形成された場合、その景観利益は法的保護に値する」ということであるとして、その「景観利益」が侵害されたことを理由にして東京地裁が国立市の通称「大学通り」と呼ばれる幅員44メートルの道路に面した高層マンションの東棟について7階以上にあたる高さ20メートルを越える部分の撤去を命じたものであると報道した。
  本稿ではこのような画期的な意義を有する本判決の内容を紹介するとともに、本判決が認められた「景観利益」とは何か、どのような場合に「景観利益」が認められるのか、「景観利益」に基づきそれを侵害する建物の撤去を請求する理論的根拠はどうとらえたらよいか、本判決の打ち出した結論は他のどのようなケースにあてはまるのか、すなわち射程距離と言われる問題などについて若干の考察をすることにした。

2 事案の概要

 まず本判決の事案を紹介するが、のちほど述べるように本判決が認めた「景観利益」は基礎的な事実関係に大きく影響されていると思われるので、本判決の中に示された「事案の概要」を少し長くなるが紹介することにする。
(1)最初に国立市の大学通り付近の景観を見てみると、JR国立駅の南口はロータリーになっており、このロータリーから南に向けて幅員の広い公道が直線状に延びている。このうち江戸街道までの延長約1.2キロメートルの道路が通称「大学通り」と呼ばれている道路である。そのほぼ中央付近で両側に一橋大学の敷地が接し、南端付近で東側に都立国立高校の敷地が、西側に本件マンションの敷地が接している。本件マンションの敷地の北側に学校法人桐朋学園男子部門のグランドが接している
 この大学通りは、歩道橋を含めると幅員が約44メートルあり、道路の中心から両端に向かってそれぞれ幅約7.3メートルの車道、約1.7メートルの自転車レーン、約9メートルの緑地及び約3.6メートルの歩道が設置され、緑地部分には171本の桜、117本のイチョウなどが植樹され、高さ約20メートルのこれらの木々が連なる並木道になっている。この景観は全国的にも著名であり、東京都による「新東京百選」に選定された(1982年、1993年)ことがある。
(2)大学通り沿いの地域の用途規制状況を見ると、一橋大学から南に位置する地域は、国立高校の敷地及び本件係争土地を除き、その大部分が第一種低層住居地域に指定されており、そこでは建築物の高さは10メートルないし12メートルに規制され、実際にも低層住宅群が建ち並んでいる。一方、本件係争土地は例外的に第二種中高層住居専用地域に指定され、用途地域制度に基づく建築の高さ制限はないことになるが、これは以前本件係争土地が東京海上火災の所有土地であり、用途地域指定を受けた当時は4階建て高さ約16メートルの事務センターの敷地として利用されてきた。そこを第一種住居専用地域に指定すると当該建物が既存不適格になってしまうので、それを避けるために第二種住居専用地域に指定された経緯があると言われている。
(3)次に大学通り周辺の地区の歴史的経緯を見ると、同地区は今から約70年前の大正後期から昭和初期にかけて、丘陵地にJR中央線を敷き、設置した国立駅から南に延びる24間幅の広い直線道路の中央部分に東京商科大学(現在の一橋大学)を配置し、道路の左右に200坪を単位とする宅地を整然と区画するという計画の下に開発が進められた。地区の名称も「国立大学町」とされ、教育施設を中心とした閑静な住宅街を目指して地域の整備が行われ、美観を損なう建物の建築や風紀を乱すような営業は行われなかった。この地区においては、環境や景観を守ることを目的とした市民運動が盛んに行われてきた。
(4)このような背景を持つ本件係争土地をY(被告明和地所)は平成11年7月に取得して本件マンションの建築を計画した。本件マンションの形状は地上14階、地価1階、総戸数353戸(うち住居は343戸)の分譲マンションであり、建築面積は6401.98平方メートル、高さは43.65メートルであるが、外観上は東西南北の4つの棟に分かれており、そのうち大学通りに面した東棟の1棟がその大部分が大学通りとの境界線から西側20メートルの範囲内に位置している。
(5)国立市は同市の景観条例に基づいてYに対し本件マンションの高さを制限するように行政指導したが、Yはこれに従わなかった。そこで、国立市は地権者の約8割の同意署名を添えた要請に基づき、本件係争土地を含む地区について地区計画を決定し(平成12年1月1日施行)、併せて「地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例」を制定し(平成12年1月1日施行)、その後同条例が改正された(平成12年2月1日施行)ことにより、本件係争土地については建築物の高さは20メートルに制限されることになった。
(6)このような高さ規制に対して、Yは平成12年1月5日に本件マンションの建築確認を受け、直ちに根切り工事のための掘削を開始し、本件マンションは平成14年2月に竣工した。
(7)本件訴訟の原告になったのは、学校法人桐朋学園、同学園に通っている児童・生徒、同学園の教職員、本件マンションの近隣の地権者及び居住者である。本件訴訟は当初本件マンションの建築差止めを求めるものであったが、本件マンション完成後は地盤面から20メートルを超える部分の撤去請求に変更された。併せて、原告らは撤去に至るまでの慰藉料と弁護士費用を請求した。

3 判旨

本判決はYに対し、本件マンションのうち東棟につき地盤面から高さ20メートルを超える部分を撤去することと、同建物部分を撤去するまで1ヶ月1万円の慰謝料と弁護士費用900万円の支払いを命じた。但し、注意を要するのは請求が認容されたのは、大学通りの両側20メートルの範囲内の土地の所有者である3名の原告(X)のみであり、他の原告の請求は棄却された。
本判決は、大きな争点になっていた本件係争土地が国立市条例により建築物の高さは20メートルに制限されることになったことに基づき本件マンションが建築基準法令に違反することになったのではないかの問題を先に検討し、これについて違反するものではないとした上で、「建築基準法は、国民の生命、健康及び財産を保護するために建築物の構造等に関する「最低の基準」(同法1条)に過ぎないから、本件建物が同法上の違法建築物に当らないからといって、その適法性から直ちに私法上の適法性が導かれるものではなく、本件建物の建築により他人に与える被害と権利侵害の程度が大きく、これが受忍限度を超えるものであれば、建築基準法適法とされる財産権の行使であっても、私法上違法と評価されることもある。」と述べて、次のとおりの理由を展開して「景観利益」に基づきそれを侵害する本件マンションの上層階の撤去を命じた。
(1)ある特定の地域や区画(以下、本号において単に「地域」という)において、当該地域内の地権者らが、同地域内に建築する建築物の高さや色調、デザインなどに一定の基準を設け、互いにこれを遵守することを積み重ねた結果として、当該地域に独特の街並み(都市景観)が形成され、かつ、その特定の都市景観が、当該地域内に生活する者らの間のみならず、広く一般社会においても良好な景観であると認められることにより、前記の地権者らの所有する土地に付加価値を生み出している場合がある。
(2)このような都市景観による付加価値は、自然の山並みや海岸線などといったもともとそこに存在する自然的景観を享受したり、あるいは寺社仏閣のようなもっぱらその所有者の負担のもとに維持されている歴史的建造物による利益を他人が享受するのとは異なり、特定の地域内の地権者らが、地権者相互の十分な理解と結束及び自己犠牲を伴う長期間の継続的な努力によって自ら作り出し、自らこれを享受するところにその特殊性がある。そして、このような都市景観による付加価値を維持するためには、当該地域内の地権者全員が前記の規準を遵守する必要があり、仮に、地権者らのうち一人でもその基準を離脱した建築物を建築して自己の利益を追求する土地利用に走ったならば、それまで統一的に構成されてきた当該景観は直ちに破壊され、他の全ての地権者らの前記の付加価値が奪われかねないという関係にあるから、当該地域内の地権者らは、自らの財産権の自由な行使を自制する負担を負う反面、他の地権者らに対して、同様の負担を求めることができなくてはならない。
(3) 以上のような地域地権者の自己規制によってもたらされた都市景観の由来と特殊性に鑑みると、いわゆる抽象的な環境権や景観権といったものが直ちに法律上の権利として認められないとしても、前記のように、特定の地域内において、当該地域内の地権者らによる土地利用の自己規制の継続により、相当の期間、ある特定の人工的な景観が保持され、社会通念上もその特定の景観が良好なものと認められ、地権者らの所有する土地に付加価値を生み出した場合には、地権者らは、その土地所有権から派生するものとして、形成された良好な景観を自ら維持する義務を負うとともにその維持を相互に求める利益(以下、「景観利益」という)を有するに至ったと解すべきであり、この景観利益は法的保護に値し、これを侵害する行為は、一定の場合には不法行為に該当すると解すべきである。
(4)以上の「景観利益」につき本判決は「当該地権者らは、従来の土地所有権から派生するものとして、本件景観を自ら維持する義務を負うとともにその維持を相互に求める利益(景観利益)を有するに至ったと認めることができる。」と述べて、大学通り沿いの地区においてその存在を認定した。
(5)そして本判決は「景観利益」の存在を認めた上で、本件建物が本件景観を侵害するとした。しかし、本件景観の侵害が直ちに不法行為になるとするのではなく、「Yの本件建物建築物は、本件土地の所有権に基づく権利行使であるから、これによりXら3名が景観利益の侵害を受けているとしても、その程度が受忍限度を超えていると認められて初めて違法なものとなり、不法行為となる。」として、本件における被害の内容及び程度、地域性、Yの対応と損害回避可能性、Yの損害などについて判断し、その結果、「本件建物を建築したことはXらの景観利益を受忍限度を超えて侵害するものであり、不法行為に当たる。」との結論を出した。
(6)不法行為による被害の救済は、金銭賠償の方法により行われるのが原則であるが、景観利益の特殊性と景観利益破壊の程度を総合考慮すると、「本件建物のうち、少なくとも、大学通りに面した本件棟について高さ20メートルを越える部分を撤去しない限り、Xらを含む関係地権者らがこれまで形成し維持してきた景観利益に対して受忍限度を超える侵害が継続することになり、金銭賠償の方法によりその被害を救済することはできないというべきである。よって、本件棟のうち、地盤面から高さ20メートルを越える部分については、その撤去を命じる必要がある。」と結論づけた。

4 本判決の意義

(1)本判決は冒頭に述べたように、我が国で初めて「景観利益」が法的に保護されることを認めたこととその「景観利益」の侵害を理由に完成したマンションの一部撤去請求を認容したことの2点において画期的なものである。
前者の「景観利益」が法的に保護されるか否かにつき、本件のYが本件とは逆に原告になって国立市と国立市長と学校法人桐朋学園を訴えた「国立市建築物高さ制限条例無効確認等請求事件」において東京地裁が平成14年2月14日に言い渡した判決(判例時報1808号31頁)が「保持することが望ましい良好な景観が具体的にどのようなものを意味するかについては、いまだ国民の間に共通の理解が存するとはいい難いし、まして、具体的な法令上の規制がない場合にまで、景観の保持の観点から私有財産権の行使が制約されるとの考え方が一般的なものとはいい難い。」と述べて、良好な景観が法的保護の対象として成熟していないとしたのとは格段の違いがある。
また後者の建物の一部撤去を命じた点について、本判決はいわゆる「受忍限度論」を採用して慎重に受忍限度を超えたか否かを検討し、受忍限度を超えたと判断して景観利益の侵害を理由として不法行為の成立を認め、その上で金銭賠償による被害救済の困難性から高さ20メートルを越える部分の撤去請求の一部認容という理論構成をしたものであるが、金銭賠償による被害救済の困難性から建物の一部撤去請求を認容した点には現実的に撤去を実現するには困難な面が予想される。それにもかかわらずあえて命令を出した点において社会問題の解決に積極的な役割を果たそうとする近時の司法の意気込みが感じられる。
筆者はこのような意義を有する本判決の結論及び理由に賛成するものである。本判決に対する評価は賛否あるが、淡路剛久教授は「この判決は、環境権としての景観権を認めたものではない。土地に対する権利を基礎としていることや、差止請求権の根拠として権利構成ではなく不法行為構成をとっているなど、形式的な法律論としては、環境権に近付いたとは言いにくい。しかし、それにもかかわらず、実質的には、環境権としての景観権を一定限度実現していることに注目すべきだと思われる。」(注1)と評価している。このようなとらえ方は十分に可能と思われ、筆者としてもそう考えたい気持はある。しかし、本判決の理由中に「いわゆる抽象的な環境権や景観権といったものが直ちに法律上の権利として認められないとしても・・」という箇所があることから推して、本判決を起案した裁判官はそこまで踏み込んで考えてはいなかったのではないかと思う。それは、これまでの判例からしても裁判官が「環境権としての景観権」を実質的に認容することは無理と思われるからである。筆者としては「景観利益」が法的保護に値することを認めただけで本判決の意義は十分あると考えている。そして、差止請求権の根拠として権利構成ではなく不法行為構成をとっている点も裁判実務において本判決の結論を導きだすためには最もすわりのよい法的構成をとったものであると考えられ、これ以外の法的構成をとれば上級審で覆される可能性が出てきてしまう。現に、本判決後の平成15年3月31日に名古屋地裁は町並み保存地区に指定された江戸時代の武家屋敷の古き町並みの面影等の残る名古屋市白壁・主税・撞木町地区内のマンション建築に関し、その住民がなした景観利益等を根拠とする高さ20メートルを超える部分の建築を差し止める旨の仮処分の申立てを認める決定をした(判例タイムズ1119号278頁)が、同事件の債務者であるS社は保全意義を申し立てたところ、名古屋地裁は平成15年9月4日仮処分決定を取り消してしまった。
(2)次に本判決の法理論的な意義について述べたいが、この点については吉田克己教授が本判決につき深い分析をされている(注2)ので、それを紹介させていただきながらすすめたい。
吉田教授は本判決の意義を従来の判例の流れの中で位置づける。すなわち、まず眺望権ないし眺望利益と景観権ないし景観利益を理論的に明確に区別するのが裁判所の傾向であると指摘し、その例として鎌倉市の古都景観地域における4階建マンションの建築が問題になった事件につき東京高裁平成13年6月7日判決(判例時報1758号46頁)が次のように分けていることを上げる。
景観利益=公共利益(古都鎌倉を訪れる国民各人にも広く認められるもの)
眺望利益=個別的・具体的利益(たまたま特定の場所を所有・占有することから事実上享受し得る利益)
そして、本件で問題になっているのは一貫して景観利益であると指摘した
上で、和歌の浦訴訟に関する和歌山地裁平成6年11月30日判決(判自145-36)が「歴史的景観権の内容は権利としての保護に値する程度に成熟したものになっているとは言い難い」と述べて原告歴史的景観権の主張を排斥した例を上げる。さらに、景観権の特質につき、和歌の浦訴訟事件で問題にされたのは「すでに存在している景観を享受する権利としての景観権」=「既存景観享受権」であるのに対し、本件で問題にされたのは「自分たちが作り上げてきた景観を享受する権利としての景観権」=「共同形成景観享受権」であり、事案類型として言えば前者は「既存景観享受型」であるのに対し、本件は「景観共同形成型」と性格づけるものであると分析されている。この分析により、景観権の特質は明確にされたと言える。
この分析から本判決を見ると、これまでは既存景観享受型と景観共同形成
型の区別は特に問題にされることがなく、また区別が問題になるケースがそもそも存在しなかったため、一般的にはこの二つは混同されていたところ、本判決はこの区別をはっきりと認めたものであり、本判決の第一の意義はそこにあるとする。吉田教授のこの指摘は明晰であり、これにより本判決の位置づけがはっきりした。
さらに、吉田教授は「地域住民の自主的努力・相互拘束の積み重ねによる
良好な景観の形成と土地への付加価値の付与が確認され、次いでそれを根拠に、抽象的な環境権・景観権とは区別された法的保護に値する「景観利益」の成立が認められるのである。「景観利益」の核心は、住民の相互拘束である。すなわち、住民は「形成された良好な景観を自ら維持する義務を負うとともにその維持を相互に求める利益」=「景観利益」を有する。この部分は、本件事案の特徴を自覚的に踏まえた判断であり、高く評価すべきものである。」と述べて、本判決の意義を強調する。この指摘はまさにそのとおりであり、「『景観利益』の核心は、住民の相互拘束である」と喝破することによって、実体的権利である差止請求権を導き出すことができる景観利益を基礎づけられると思う。吉田教授は、本判決は、この理論構成を踏まえて、受忍限度を超えた景観利益の侵害→不法行為の成立→金銭賠償による被害救済の困難性→高さ20メートルを越える部分の撤去請求の一部認容という結論を出したと図式化するのであるが、この図式化により本判決の理解が容易になった。

5 本判決の問題点

次に本判決の問題を指摘し、若干の考察をしておきたい。この点についても、吉田教授が前記の論文で鋭い指摘をしているので、吉田教授が指摘した点を紹介して、それに対して私見を述べる形をとりたい。 (1)吉田教授は「法的保護に値する景観利益を析出する場合、さらに問われるのは、景観利益がどのようにして私人に帰属するかの論証である。」という問題意識から検討を始める。それは、先に紹介したように、「従来の判例は、眺望利益についてはその私人への帰属を認めながら、景観利益についてはその公共的性格から私人への帰属を認めない傾向にある」ため、本判決のように景観利益が私人に帰属するという結論をとる以上、その理論的な根拠、特に従来の判例との理論的整合性を論証することが必要になるからである。 判決理由中に述べられているとおり、本判決が景観利益の私人帰属を認める際の媒介項としたのは「土地所有権」である。すなわち、「社会通念上良好と認められた景観は、土地に付加価値を生み出し、地権者らはその土地所有権から派生するものとして景観利益を有するに至るというわけである。」が、この考えについて吉田教授は「既存の法理との接合を図った苦心の構成である」と評価しながらも、「本件における景観利益の実態を素直に反映した法的構成であるのか、疑問が残る」と言って、2つの問題を提起する。第1は「付加価値」の具体的内容が明確でないという点であり、第2は「より根本的には、土地所有権を媒介項に選ぶことによって、判旨が景観的利益の公共的性格を切り落としてしまった」という点である。吉田教授の批判は要するに本判決はあまりにも法技術的であって、そのためにかえって理論的に苦しくなっているから、「景観利益の実態を素直に反映した法的構成」をすべきであるということである。この点につき、弁護士として訴訟実務に長年関与してきた筆者の感想を述べれば、本判決は何といっても「既存の法理との接合を図った苦心の構成」であり、裁判官の発想からすれば景観利益を認容するために限界ギリギリにまで知恵を絞った末に到達した成果であると思われる。吉田教授が言われるとおり「景観利益の実態を素直に反映した法的構成」をすべきであるが、それを裁判官に採用させることは残念ながら現在の司法制度の中では非常に困難と思われる。 筆者の感想はさておき、吉田教授の指摘は重要であるので、それに戻ると、土地に生み出された「付加価値」の具体的内容は何かであるが、吉田教授は「素直な受け止め方をすれば、それは地価上昇なのであろう」と解し、そうだとすれば景観を維持するために土地所有権行使の自己規制をするならば地価はむしろ抑制されることになるという矛盾が出ると指摘する。 確かに土地の「付加価値」といえばこれまでは地価上昇をもってその存在を測っていたことは事実である。その考えからすれば、吉田教授が言われるとおり、高さを規制すれば地価が上昇するという現象は「少なくとも日本の土地市場を前提とすれば、現実無視と批判されてもやむをえないものである」ということになる。そこから、吉田教授は「ここでの『付加価値』は、景観享受の利益そのものなのであろうか。そうであれば、それはむしろ人格的利益や人格権のレベルで把握すべきであり、土地所有権への付加価値というのはやはり無理があろう」と批判する。筆者は本判決がいう「付加価値」とは人格的利益や人格権のレベルで把握すべきものではないかと考えており、「付加価値」論に対する批判は誠にそのとおりである思われるが、本判決が「既存の法理との接合を図った苦心の構成である」ことを考えれば是としたい。 第2の問題点として吉田教授が指摘された「土地所有権を媒介項に選ぶことによって景観的利益の公共的性格を切り落としてしまったこと」であるが、確かに本判決は判旨全体から見れば「景観利益」を私的なものと考えていることが窺えるが、他方で吉田教授も指摘されているように「わずか3名の景観利益の享受のために完成したマンションの一部撤去を命じるのは行き過ぎではないか」という批判が提起されるのは、そもそも景観利益が公共的性格を有するからである。本判決は景観利益が公共的性格を帯びることを意識しつつ、それをストレートに出せば上級審で否定されることも目に見えていたので既存の法理との接合を図るため土地所有権を媒介項に選ばざるを得なかったと見るべきである。このように考えると、本判決の選択は相当であったと思われる。 (2)吉田教授は批判する本判決の次の大きな問題点は不法行為構成をとった点にある。吉田教授も「本件のように完成してしまった建物の撤去=原状回復を導くには、確かに不法行為構成はありうる構成であろう」と言って、相当程度の理解を示すが、不法行為構成は第1に本件のような紛争で最も事態適合的な解決は事前の建築差止であるはずなのに「事前差止を導くのに本来的に適合的な法律構成ではない」し、第2に不法行為による被害の救済の原則的形態は金銭賠償であるところ、本判決は完成マンションの高さ20メートルを超える部分を撤去するとなるとYの損失は53億円に及ぶと認定しているので、仮に撤去ではなく金銭賠償で被害を救済すべきもとしても数名の原告に付与させるべき賠償額がそのような数値になるはずがないから、金銭賠償と撤去は等価ではないことになり、これは不法行為構成の不適合性を示すものであると指摘する。いずれも的確な指摘であるが、この点も「既存の法理との接合を図った苦心の構成」であり、裁判官の発想からすれば建物一部撤去を認容するために検討の結果に到達した最もすわりの良い構成であると思われる。吉田教授が言われるとおり「景観という公共的性格を持つ利益」を直視した構成をすべきであることに異論はない。吉田教授は、「判旨が打ち出した景観利益の背後にあるのは、土地所有権ではなく、景観保護を内容とする土地利用に関する地域ルールと見るべきである、というのが本稿の見解である。したがって、完成したマンションの一部撤去も、不法行為の効果としてではなく、地域ルール違反行為に対するサンクションとして違反是措置が認められたものと把握されることになる。・・・土地利用に関する地域ルールに法源としての性格が認められるわけである。」と自論を展開させる。非常に魅力的な学説と思うが、それを裁判官に判決の中に採用させることは、先に土地所有権を媒介項に選ぶ構成について述べたと同様に現在の司法制度の中では非常に困難であると言わざるを得えない。

6 本判決の射程距離

  最後に本判決は今後どのようなケースに適用されるかについて簡単に述べておきたい。既に述べたように、本判決は「既存の法理との接合を図った苦心の構成」をとったものであるので理論的な強靭性を有しているものの、我が国で初めての判断が2つも含まれているので、上級審で変更される可能性もないではない。このような本判決の射程距離を現時点で検討するのは時期尚早かもしれないが、本判決が上級審でも維持されることを前提に考えると、直ちに他のケースに適用されるか言い難いところがある。本判決の結論は長期間に及ぶ住民の自己犠牲と相互拘束の上に出されたものであるから、これが認められるケースは自ずと限られてくるであろう。国立市大学通り沿いの住民が70年にわたって自己犠牲と相互拘束を積み重ねてきたのと同様の事例が出てくれば同様の結論は出されるであろう。ただし、70年もの継続は必要ないと思われるが、どの位の期間継続することが必要かはもう1~2例程度同様の判決が出されないと予測をすることは困難である。
 以上、本稿の評釈の部分は吉田教授の深い考察に対して、筆者の浅薄な感想を述べるだけになってしまったが、これは筆者の力不足によるものであるのでご容赦いただきたい。


(せき ともふみ・弁護士)

(注1)淡路剛久「景観権の生成と国立・大学通り訴訟判決」ジュリスト1240号77頁
(注2)吉田克己「『景観利益』の保護」判例タイムズ1120号67頁